直木賞作家、辻村深月さんの初のエッセイ集ネオカル日和。
小説家のエッセイ集って結構好きで、やっぱり小説よりもダイレクトに作家の人となりが見えるというのがおもしろいというか。
特にこのネオカル日和は辻村さんの好きなモノが詰まっていて、素敵という言葉に尽きる一冊でした。
作家辻村深月のバックグラウンドを知れる
凍りのくじらでは各章のサブタイトルのひみつ道具をあてがうほどに好きだったドラえもん。スロウハイツの神様ではそのものモチーフになってるトキワ荘。
村おこしとして音楽フェスを誘致した村を舞台にした水底フェスタ。
作品単位だけでなくってミステリーとの出会いだったり、辻村作品を作っているものの背景がどんどん出てきます。
辻村さんの小説にはホントに辻村さんの好きなモノのエッセンスが散りばめられていて、それが作品に彩りを与えているということがよくわかります。
島は僕らとのように自身が母になったことが投影された作品が書かれるようになったり、辻村深月という作家は自身をダイレクトに作品に映し出すからこそ魅力的な物語を書くことができるんでしょうね。
辻村作品を読みたくなるエッセイ
このエッセイは辻村さんの好きなモノについて書かれているというだけあって、すごく楽しそうに書かれているように感じます。
それこそオタク特有の好きなモノについて語るときはめちゃくちゃ饒舌になるというあれ。
この企画はもともとどこでも興味の赴くまま好きなところに取材に行ってよいというテーマではじまったルポエッセイで、それをまとめたものが本書になっています。
取材先も藤子・F・不二雄プロダクションに(株)ポケモンなど、わたしぐらいの世代だとビビッときちゃいます。
他にも音楽フェスだったりガンダムだったり、なんというか自分も好きなモノの話が出てくると辻村さんをすごく身近に感じられるというか。
そうすると今度は辻村さんの小説をまた読みたくなっちゃうんですよね。
こうやって辻村作品のバックグラウンドを知ることで小説を読んだときの感じ方もまた変わってきます。一度読んだ作品をもう一度読んでみようというきっかけにもなりますね。
作家を知るおもしろさ
基本的に、小説というのは作品として独立しているもので作家とは切り離して考えるものだと思っています。要するに作品がおもしろいかどうか。
例えば作家がどれだけ人間性に問題があろうが、それは作品そのものには関係がなく作品はおもしろければすべて許される。だから小説というのはそれだけを見て、読んで、それだけで評価されるべきものだと思っています。
一方で、作家を知ることで新しいおもしろさに出会うということもたしかにあるんですよね。国語のテストじゃないですけどこのときの作者の気持ちを考えなさいみたいな。
文章から読み取れる部分だけじゃなくって、作家を知ることでまた想像する余地が広がるというか。
例えば、辻村さんのハケンアニメを単純にアニメ業界のお仕事小説として読むか、あるいはモチーフとなっている少女革命ウテナや幾原監督への思い入れだとかを加味して読むか。
全然読み口が変わってきますよね。そしてそれがまたおもしろいと思うんですよ。
作家を知るおもしろさというのは間違いなくあって、ネオカル日和のようなエッセイ集などはそれを教えてくれます。
だからこそ辻村さんに限らず小説家の書くエッセイって好きなんですよね。一度読んだ小説に、また違ったおもしろさを与えてくれるんですから。
このネオカル日和も辻村作品を好きな人にはぜひオススメしたい一冊です。辻村作品をさらに深く楽しむために。ぜひ読んでほしいなと思います。
それではまたー。