サブカル好きぶちのめし映画「花束みたいな恋をした」を視た周回遅れの感想

映画
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「花束みたいな恋をした」という映画を今さらながら見ました。

この映画は2021年公開、わたしが今この記事を書いているのが2024年の4月。

Amazonプライムでの配信をきっかけに視てみたというだけのことで劇場公開されていた当時から興行収入で30億円を突破した大ヒット映画ですし、今さらこれは恋愛映画に見せかけた現代の鬱映画だ!なんてことを言ってもなんにもならないことです。

それでもこの映画を見終わったあとには語りたくなってしまう、なにかしら物を申したくなってしまう。

これがなんでそうなるかって言いますと、映画とか漫画だったりとかそういった作品について語りたくして仕方ないって属性の人たちがいて、そういった人たちに間違いなく刺さるからです。

例えば冒頭の別々の席に座る主演である菅田将暉演じる麦と有村架純演じる絹が、一つのイヤホンを二人で分け合うカップルについてイヤホンは左右で音が違うのだから左右ばらばらで聴くなんてとんでもないとウンチクを述べ、さらには文句をつけようと席を立ち上がるこのシーン。

このシーンを見てBUMP OF CHICKENかよとツッコんでしまったあなたは、間違いなくこちら側です。

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映画のあらすじとそこにまつわるサブカル作品

あらすじ

東京・京王線の明大前駅で終電を逃したことから偶然に出会った 山音麦 (菅田将暉)と 八谷絹 (有村架純)。
好きな音楽や映画が嘘みたいに一緒で、あっという間に恋に落ちた麦と絹は、大学を卒業してフリーターをしながら同棲を始める。
近所にお気に入りのパン屋を見つけて、拾った猫に二人で名前をつけて、渋谷パルコが閉店しても、スマスマが最終回を迎えても、日々の現状維持を目標に二人は就職活動を続けるが…。
まばゆいほどの煌めきと、胸を締め付ける切なさに包まれた〈恋する月日のすべて〉を、唯一無二の言葉で紡ぐ忘れられない5年間。最高峰のスタッフとキャストが贈る、不滅のラブストーリー誕生!
──これはきっと、私たちの物語。

公式サイトより https://hana-koi.jp/

このあらすじだけを見ただけでは、偶然知り合った二人が共通の趣味をきっかけに恋人になった、言ってしまえばよくある恋愛映画なんだなと感じるかもしれません。

そこを補強するのが共通の趣味である固有名詞として登場する数々のサブカルチャー、天竺鼠や今村夏子、宝石の国やゴールデンカムイやゼルダの伝説などなど……

また名前の挙がった作品だけでなく例えば花の名前を教えないくだりで川端康成を思わせるところとか、細かく散りばめられたエッセンスにもニヤつかせられたりします。

趣味、好きなもので繋がる関係、あえてクソでか主語で言いますがすべてのサブカル好きは自分の好きなものは他の人にはわかってもらえないと思っていて、でもわかってもらいたいと思っているからこそそれで繋っていられる関係に憧れますし、だからこの作品に惹き込まれちゃうんだと思います。

そういった思いはわたし自身も同様なのは否定できず、その一方でこの映画に登場した作品はほとんどが自分の守備範囲から外れています。

名前の挙がった作家で言えば舞城王太郎さんくらいしかかすりませんでしたし、お笑い芸人にはほぼ興味ないしきのこ帝国も通ってないし、ゼルダはゲームボーイの夢をみる島くらいしかやってません、ブレワイやりたいけど……。

ちなみにたまたまこの記事書いているときに宝石の国が最終回目前企画とうことで全話無料やってて一気読みしたんですけど、まぁなんというかあんまり刺さらなかった……。

でもこれって簡単に置き換えちゃうことができるんですよね、自分の好きなものに。

自分は押井守の事は当然知ってるけどご尊顔までは知らない、でもあそこにいたのが富野由悠季だったら興奮してしまう気持ちはわかります、神がいますなんて言いたくもなります、髪はないけど。

好きな作家を言い合ったときに綾辻行人や歌野晶午とか出てきたらめちゃくちゃときめくかもしれない、天竺鼠じゃなくてBRING ME THE HORIZONのライブ行ってたらそれだけで好きになるかもしれないし、ポケモンガチ勢でガルガブゲンで受けループ使いだったら嫌いになってたかもしれない。

極端な話この映画に登場する作品に思い入れなんて一切なくても、こうやって自分の好きなものに簡単に当てはめられてしまうからこそ、リアルに感じてしまい簡単に自分の物語にできてしまうのでしょう。

そんでもって絶妙なんですよね、この映画に登場する作品群って。

サブカルを二人をつなぐ重要な要素として扱う一方で、作品というよりもそれをそれを好きな人たちに対してどこか批判的というか。

漫画作品で言えば出てくるのはワンピースじゃくてゴールデンカムイ、ゲームにしてもマリオやポケモンじゃないけどゼルダ。

ゴールデンカムイなんてどう考えてもメジャーな漫画ですし、マリオやポケモンほど一般的な知名度はなくてもゼルダの伝説は間違いなくメジャーなゲームです。

でもこのへんのチョイスが本当にサブカル好きのことよくわかってるよなぁって感じなんですよね。

本棚にAKIRAが揃ってるのがサブカル好きらしさで、ここに王ドロボウJINGが揃っててもただの変な趣味の人なんですよ。

それらの作品が好きなことは当然良いことでしかないし、でもそれらが好きな自分は特別な人間でもなんでもないしましてやそこに挙がる作品がかなりメジャー寄りというところ、サブカル好きに対しての牽制になっていると思うんですよね。ある意味でぶん殴っているというか。

この作品のONE OK ROCKの扱いなんて本当にそれで、ワンオクを勧める大人をミーハーのように扱いながらも二人の共通点のきのこ帝国だってメジャーデビューしているバンドでそれほどディープではないよねっていう。

もちろん作品やバンドを批判しているわけでもないですし、個人的にワンオクがこんなミーハー人気なバンド扱いされるのはどうにも物申したくなってしまうというか。

ONE OK ROCKというバンドはですね、スクリーモやポストハードコアというジャンルをローカライズした音楽性を確立させ、国内にこういったジャンルを浸透させたという点で間違いなく功績のある偉大なバンドなんですよ、幅広い層に人気があるのは間違いなくミーハー人気も否定しませんがそれをサブカル好き叩きの棍棒にされてしまうのもなぁ、なんて。

好きなものから離れることと関係性の変化

好きなものでつながった麦と絹の二人は一緒に住むようになり、好きなものを共有しながら生活を続けていきますが、麦の就職を期にそれまでの関係が少しずつ変わっていきます。

それまでフリーランスとして主に在宅でイラストを書いていた麦が外で働くようになったことですれ違っていくようになり、一緒にゼルダをやろうって話してたのにやるのは絹ばかりで麦は仕事に追われパズドラぐらいしかやらないようになり、お互いの大切な趣味だったはずの小説や漫画の話はできなくなり代わりに麦はビジネス書を読むようになっていたり。

しかもまたそのビジネス書のチョイスが絶妙というかワナビー感の凄まじさですよね、

変わらずそれらが好きでいた絹からすれば麦は変わってしまった、置いていかれてしまったように感じたでしょう。

自分の人生にとってとても大事な、それがないと生きていられないんじゃないとすら思うような好きな小説、漫画、映画、そしてそれらは二人の関係をつなぐ本当に大切なものだったはずなのに。

でも好きなものをずっと同じ熱量で好きでいるのってとても難しいんですよね。

時間に追われてというのもそうですし、他のことに興味が移ってしまって好きだったものへ今までみたいに時間を使うことができなくなってしまったり。

麦は仕事に追い込まれているように描かれている一方で、仕事を任されるようになったことを喜ぶような描写があるなど、仕事に楽しさを見出しているようにも感じるんですよね。

責任や生活のためという気持ちがあったことは間違いないですが、麦にとっては大好きな小説や映画や漫画のように、仕事が新しく夢中になれるものだったのかもしれません。

別にね、嫌いになったわけじゃないんですよ、ただ優先順位というか、自分の中でもっと夢中になれるものが出てきてしまっただけなんですよね。

これを自分に当てはめてみると、例えば毎週のジャンプを隅々まで読み込みこの新連載は10週打ち切りだなぁなんて楽しんでたのがいつしか長期連載の作品を読む程度になってしまったり、毎シーズン新しく始まるアニメをチェックしてまず3話まで視て最後まで見るか考えたりなんてしてたのが今では配信ですらなかなか観なくなったり。

嫌いになったわけじゃないんですけど間違いなくかつてほどの情熱はなくなってしまった、この寂しさは自分でも感じるし、それを傍で見るまだ好きなままの人からすればさらに寂しいんだろうなと思います。

逆に子供の頃はずっとゲームの話ばっかしてた友達と久々に会って最近やってるゲームの話をしようとしてみても、家庭があって子供もいるなんて人はもうゲームなんてやってなかったりして、こういうところでやっぱり寂しさを感じてしまうようなところもやっぱりわかってしまうんですよね。

この麦の視点からも絹の視点からも、どちらかにだけ共感する人がいればどちらの感覚もわかってしまうって人もきっといて、だからこそこの映画に惹きつけられてしまうんだろうなと思います。

別れで終わるハッピーエンド

すれ違い、こじれてしまった二人は最終的に恋人関係を解消しそれぞれの道を歩むことになります。

そして数年経ったあとに冒頭のイヤホンの左右を二人で分け合うカップルに注意しようとするシーンに繋がります。

最後に別れてしまう恋愛映画は一般的にはきっといわゆるバッドエンド、少なくとも幸福な結末であるとは言われないと思います。

でも終わってしまっている関係がしっかりと終わることができた、延々と続いてしまうよりもしっかりと終わったということは間違いなく正しく、だからこそこの映画はハッピーエンドと言ってもいいのかなというのがわたしの考えです。

だって例えばクリスマスに二人で出かけたあとのシーン、またこれからもしてほしいことがあったら言ってねという麦に対して、いやいやしてほしいんじゃなくて一緒に楽しみたいんでしょって絹の気持ちになってツッコミをいれてしまうように、もう根本的な部分でダメなんだろうなって思わせられる箇所がいくつもありました。

そこから関係が修復して幸せな結末を迎えました、なんて言われてもいやいやどうせまた繰り返すでしょって思っちゃいますし、それでハッピーエンドって言われても納得できません。

そしてラストシーン、久々に再開した元恋人のことを考えかつて一緒に住んでいたあたりをストリートビューで見ている麦、二人で通ったあのお気に入りのパン屋どこだっけかな~なんて考えながら……。

ストリートビューに写るかつての二人を見つけ、二度目の奇跡などとしてちょっといい感じにまとめて終わりますがそのシーンのグロさですよ。

絹がパン屋が店を畳んだことを麦にメッセージしたあのシーン、そっけなく返信する麦の冷たさが印象的でしたがラストでそもそもあの時点ではメッセージの内容自体まともに読んでなかったしましてや覚えてなんてなかったことがわかるわけです。

だからやっぱりこの映画はこの結末が最も幸せだし、ハッピーエンドなんだって最後の最後でも突きつけてくるんですよ。

でもやっぱりこのラスト、一回観てなんだかめちゃくちゃもやもやしたからもう一回観たいと思ってしまったし、そんでもって自分の妻さんがこれを観たときにどんな感想を持つかってすごく気になりました。

ということで2回目は妻さんと一緒に観たんだけど、たぶん自分ほどには刺さらなかったみたいで……

でもたぶんそんな感じたからうちの夫婦はこの作品みたいにはならなかったんだろうなというところと、恋人関係に共通の趣味があるのは良いことだけど、その繋がりが強いのもまた考えどころなのかなって思いました。

出てくる作品、というよりもそれらへの登場人物の向き合い方やそれにまつわる要素など、自分に重なるところや刺さってくるところが多すぎてきっといろんな人が自分に当てはめてつい共感してしまうこの映画、いや~なんというか視るタイミングが今で良かったなって思います。

たぶん、視た時期によってはアホほどぶっ刺さってめちゃくちゃ引きずってたと思います。いや今でも十分に食らってますけどね、ひっさびさにブログで書いてしまうくらいには。

個人的には誰かに勧めたいと思う映画ではないです、でも視終わったあとにどう思ったか感想を聞きたくなる、語り合いたくなってしまう、そんな映画でした。

ということでまぁこんな感じで、サブカル好きぶちのめし映画「花束みたいな恋をした」を視た周回遅れの感想でしたー!それではまた~!

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