米澤穂信「真実の10メートル手前」感想。「さよなら妖精」のその後を描いた青春のその先。

作家
このサイトの記事内には広告が含まれています。

大刀洗万智シリーズでいいのかな、ウィキペディアなんかではベルーフシリーズって書かれていますね。一応さよなら妖精からシリーズとしてカウントしています。

とにもかくにも、王とサーカスから続く真実の10メートル手前。今回は6篇からなる短編集ですね。

目録としては、

  1. 真実の10メートル手前
  2. 正義感
  3. 恋累心中
  4. 名を刻む死
  5. ナイフを失われた思い出の中に
  6. 綱渡りの成功例

となります。

どれもほろにがというか、基本的にはすっきりしない作品ばかりですね。

あらすじ

高校生の心中事件。二人が死んだ場所の名をとって、それは恋累心中と 呼ばれた。週刊深層編集部の都留は、フリージャーナリストの太刀洗と 合流して取材を開始するが、徐々に事件の有り様に違和感を覚え始める……。太刀洗はなにを考えているのか? 滑稽な悲劇、あるいはグロテスクな妄執――己の身に痛みを引き受けながら、それらを直視するジャーナリスト、太刀洗万智の活動記録。『王とサーカス』後の6編を収録する垂涎の作品集。

スポンサーリンク

タイトルに込められた意味

あらすじには王とサーカス後って書いてあるんだけど、表題にして1編目である真実の10メートル手前は王とサーカスよりも時系列的に前の話。

この真実の10メートル手前というタイトルは、一つの短編のタイトルであるとともに本そのもののタイトルになっているだけあって、どの作品にも共有されるコンセプトになっていますね。

というのも、探偵役ではあるけれど探偵ではない大刀洗万智にとっては謎は解いても真実を明らかにすることは仕事じゃないから、記者としての立場から逸脱しない立ち振舞いはある意味ではこの作品の魅力かなとも。ミステリ好きにはちょっと歯がゆいかもしれないけど。

記者という職業に対する葛藤というか疑問というのは常に持っていて、王とサーカスで一つの答えにたどり着いたけれど、それでもそこで止まらずに常に考え続けようと言う大刀洗万智の信念のようなものを感じる。

自分に楽をさせないサドさというか、どこまでもストイック。この作品のもつ社会的な側面ともいうのかな。

マスコミだから、報道機関だからってことに甘えない正面から向き合おうとする姿勢はおそらく米澤穂信さんの考えを映し出しているのかなと思う。

大刀洗万智シリーズがやっと形になった

さよなら妖精はもともとのプロットが〈古典部〉シリーズのうちの一つの話であったということもあって、わたしの中ではシリーズとして処理されていなかったんですよね。

ただ、大刀洗万智はさよなら妖精では主人公ではなかったけれど探偵役であったように、続いていくのなら大刀洗万智シリーズになるというのはたしかに必然性があったのかなと思う。

〈古典部〉シリーズになりそこねたさよなら妖精に、王とサーカスと真実の10メートル手前という2作品が加わったことでシリーズとして形になったのかなとおもいます。

もちろん完成したという意味ではなくって、米澤穂信さんがこのシリーズを通して書きたいことはたぶんまだまだあるのだろうからこれからも存分に続いていってほしいと思う。

ただ米澤さん筆あんまり早くないからなぁ。

古典部はもとより次で完結と言われる〈小市民〉シリーズも止まっちゃってるし。あんまりシリーズが停滞しているのを見るのは好きじゃないので、このへんしっかり完結させてくれればなーとおもいます。っと話がそれたな。

ほろ苦青春と日常の謎を取り扱っていた米澤さんも、そのテイストを残しつつなんというか大人なテーマを扱うようになってきました。作風が変わることに抵抗を感じる人もいるのだけれど、でもわたしはこの方向性を支持したいと思う。

なにより過去作と比べてもどんどんおもしろくなっていっているんだから、否定する理由がない。今後の展開も楽しみにしています。

それではまたー。