辻村深月「朝が来る」は母となった辻村さんが母となったからこそ書けた作品だと思う

作家
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辻村深月という作家は、書いているその時、瞬間を書いている作家という印象を受けます。

かつては青春時代を、今の辻村さんは母となった自分が作品の一つのテーマとなっている気がします。

この本も、母親が大きなテーマとなっています。

あらすじ

「子どもを、返してほしいんです」親子三人で穏やかに暮らす栗原家に、ある朝かかってきた一本の電話。電話口の女が口にした「片倉ひかり」は、だが、確かに息子の産みの母の名だった…。子を産めなかった者、子を手放さなければならなかった者、両者の葛藤と人生を丹念に描いた、感動長篇。

 

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辻村深月は今を切り取る作家である

先に書いたように、辻村さんは今現在の自分を作品に映し出す。これまでにも母としての辻村さんを感じる作品はあったんだけど、例えば島はぼくらととか。

この朝が来るでは今まで以上に、辻村さんの母としての視点からさらに進んだような印象を受けたかな。辻村さんはどんどん進んでいっているなーと。

もちろん、どれも辻村さんが実際に体験したことではないだろうけど、でもそれを想像するのにはやはり母となった辻村さんだからこそなのだろうなと思った。

辻村作品を追うということは、辻村深月という人間とともに歩むことなのだと。好きな作家とはそういうものなのかな?

残酷な家族の対比

血のつながりに甘えた家族と、家族であろうとし続けた二つの家庭の対比、この二つの差はすごく残酷。

ただ母性とかそういったものを描くのではなく、いろいろな家族を描き、さらにそれらを対比させる。これはむちゃくちゃ力技でもあるんだけど、でもよくこれを書ききったなと。

家族の在り方ってなんだろう?当たり前のようだったものが実はあたりまえじゃないんだと気づく時、人間は考えるんだと思う。そういう問いかけがこの作品にはあったかな。

ラストの展開とタイトルに込められた意味

タイトルである「朝が来る」。この作品に登場する二つの家庭、それぞれにこの言葉は捧げられている。

過酷な不妊治療の果てに迎えたと、堕ちていった果てに気づくことのできた

栗原夫婦とひかりと、苦しんだ先にあったのが朝斗の存在でした。どんどん堕ちていくひかりはあまりにも一方的でついていけなくもあったラストできっと大丈夫、そう思えた。読み終わるとタイトルがむちゃくちゃ響くんだよな。秀逸。

ラストの展開に綺麗すぎるという人もいると思うんだけど、でもこの物語はこれでいいんだと思う。

それが辻村さんの描きたいことだってのがはっきり伝わってたから。だからそれでいいんだよって。

それではまたーねー。以上、あぽかる(@apokaru)でした。