朝井リョウ「何者」は完全なる意識高い系小説だった

作家
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すっかり定着しちゃった気もする意識高い系という言葉。

一般的なイメージとしては、TwitterとかFacebookとかでなんかかっこいいこと言ってるようなタイプになるんですかね。なにやってるのかよくわかんないけど、意識高そうなこと言ってるーみたいな?この高そうってのがポイント。

それを笑ったり笑われたりする文化もなんだかなーって気もするんですけどね。ただまぁ、SNSでかっこつけたくなっちゃう気持ちもよくわかるし、その一方でそれがなんかイタくてバカにしたくなる気持ちもわかる。

でもさ。たぶん本当に意識が高い人でない限り、その両方の感覚がわかるんじゃないかなと思う。人の考えなんてどっちか一方にないといけないってものでもないし。ダブルスタンダードなくらいが人間らしい。

という前置きはさておき、第148回直木賞を受賞した朝井リョウさんの何者は、それはもう完全なる意識高い系小説だ。多くの人は心のなかに意識高い系を飼っていて、だからこの本の内容に共感したり、あるいはいたたまれない気持ちになったりするのかもしれない。わたしはそうでした。ということで読書感想文です。

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id=”朝井リョウ何者”>朝井リョウ 何者

あらすじ(amazonより)

就職活動を目前に控えた拓人は、同居人・光太郎の引退ライブに足を運んだ。光太郎と別れた瑞月も来ると知っていたから――。瑞月の留学仲間・理香が拓人たちと同じアパートに住んでいるとわかり、理香と同棲中の隆良を交えた5人は就活対策として集まるようになる。だが、SNSや面接で発する言葉の奥に見え隠れする、本音や自意識が、彼らの関係を次第に変えて……。直木賞受賞作。

二種類の意識高い系

この本にはざっくり二種類の意識高い系が描かれている。

  • SNSとかに意識の高そうな投稿をすることを本当にかっこいいと思っていて、なんかそんな自分すげーみたいになってるガチな真性の意識高い系。

  • なんとなくイタイとか恥ずかしいって気持ちはあるけれど、自分を実態以上に大きくみせるために意識高そうに振る舞う、意識高い系を演じているタイプ。

ただまぁこれってどっちも一緒なんだよね。今の自分から変わりたくて必死にもがいていることはどっちも一緒。なりたい自分になるために、まずはそれっぽい言葉を使うことからやってみる的な。形から入るってやつ。

傍から観てるとたしかにみっともなくて笑っちゃいそうにもなるんだけど、実は本人たちもそんなことはわかっていたりして。それでも何者かになろうと必死にあがいてるっていう。

なんつーのかな、ある意味では潔かったりもするの。なりたい自分を演じていてそれを外部にさらけ出しているんだけど、どう思われるてるかってことにはそれほど気にはしていない。

結果が伴わなければ確かにかっこ悪いんだけど、それすらもわかっててむしろ自分にプレッシャーをかけるためというか。

だからまぁ、形だけの意識高い系はホントにかっこ悪いんだなって思う。わざわざスタバでマック広げてドヤ顔してSNS覗いてるような。デキる男はコメダでVAIOです。異論は認めない。

就活って大変なんだなぁ

わたしは就職活動ってものをしていない。だって大学行ってないから。高校でてそのまま就職しているので、就活ってものの作法だとかそういうものがまったくわかんないんですよね。まぁ言うたらそもそも大学受験のシステム自体よくわかんないんだけど。

低学歴乙って煽られそうな気もするけど。だから、就活とかの話が出てきてもあんまり食いつきが良くないというか、お祈りメールとかもよくわからんのです。

でも、就活が特異かどうかってのと、その人の本質的なものってのはたしかに別物なんだろうなーってのは納得した。就活の作法だとかで企業は学生のなにを測っているのだろうかね。よくわからんちんなんですわ。

就活まっただ中な学生さんなんかはこの本を読んでみるのはいいのかもしれないね。気分良くなるか悪くなるかはアナタ次第。

人を笑う行為は非生産的ではあるけれど

この本は300ページを超えたあたりからラストにかけて畳み掛けてくるというか、この部分は読んでいてイタイと感じる人はいると思う。

人を笑ったりする行為ってもはや一つの文化というか、ネットの炎上なんてもはやお祭りみたいなもんじゃんね。参加されている人たちはもう本気で楽しんでやってる。

だから娯楽と思えばそれはそれでいいんじゃないのとも思う。

ただ、それらを叩くことで、批判することで自分が何者かになったような感覚を覚えるようになるのは危険な徴候なんじゃないかなと思うわけで。

結局さ、自分を出さないで生きていくのってしんどい。うまくいかないことも多くなるだろうし、そのうちムリが出てくる。

カッコ悪い自分でもなんとか認めて、ふんばって生きていきましょうやってことで。

このへんはなんだかんだで自分はできるようになったかなと。しょっぱいプライドだとか受け止められるようになってきたからこそ、それをさらけ出していこうぜってところまではこれた気がする。

つーことで最後は自分語りで締め。それではまたー。