「僕は、楽しい話を書きたい」伊坂幸太郎さんの仙台ぐらしを読んで少しだけ泣きそうになった

伊坂幸太郎
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小説家、伊坂幸太郎さんのエッセイ集に仙台ぐらしというものがある。タイトルから分かる通り、この本には仙台在住の作者がそこでの暮らしを面白おかしく、ってほどではないにしろちょっとクスッとする程度に脚色した日常が収められている。

日常のちょっとしたシーンをいかに膨らませられるかっていうのは作家の能力とか、あるいはその描き方に作家の内面とか魅力を感じます。

そして仙台という都市を語る上で震災のことはやはりまだ外せないと思う。被災者となった伊坂さんのその時の心境だったりとかがこのエッセイの中にはある。

ただ、そのエッセイについて書くこのブログ記事が震災関係ばかりになってしまうのは伊坂さんにとっても不本意だと思うし、そこだけ切り取って感想を書いていくにはこの本はおもしろすぎる。震災関係の部分だけではもったいないんだよなー。

伊坂幸太郎さんの日常の切り取り方と、そして震災時に感じたことと。仙台くらしにはその二つが書かれているから、わたしもせっかく記事にするんだからその二つを取り上げて書いていきたい、

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心配性で親近感の湧く伊坂幸太郎の人間性がよく見える

なんというか、伊坂幸太郎という作家は面白い人なんだろうなーって思う。「多すぎる」を最初にエッセイのテーマに選んだのに途中で諦めてしまうあたりだとか、いかにも親近感が湧く。そりゃ多すぎるなんてネタはなかなか続かないでしょうよ。

心配性な伊坂さんもおおもしろい。金融不況から北朝鮮のテポドンからなんやらかんやら。メディアが取り上げていくものひとつひとつを真面目に受け取っていたらそりゃ心配もつきないわなーというね。

作品の中にも書かれている、「北朝鮮各小型化成功か」と言った記事と「G軍、選手若返り」が同列に並べられるというニュースが同列に並べられる違和感というのはたぶんみんなも感じることじゃないのかなーと思う。

それこそ、今年でいったら年始のベッキー不倫騒動のほうが北朝鮮の水爆実験のほうが大きく報道されていたりした。なんだかんだ日本は平和だなーと思っていいのか、あるいはこんなんで日本は本当に大丈夫なのか、と不安になるのか。ここは受け取り方次第だし、どっちかである必要もないとは思うんだけど。

ただ、多くの心配事があって、その中には現実に起きてしまうことがあるってこと。東北でも震災が起きる前から大きい地震が来る!ってことはよく言われていたという話は聞くし、それはこのエッセイの中にも書かれている。

なんというか、心配するという行為はそれが現実になった時のための覚悟とかそういったものになるのかなーとも思う。僕が心配してるからなにも起きないのだ、という感覚はなんとなく自分の中にもある気がするしね。

「僕は、楽しい話を書きたい」

震災の後、もう小説は書けないだろうなと伊坂さんは思ったという。被災者ではあるけれどそれほど大きな被害を受けたわけでもない自分たちが、なんというか浮いたような存在に思えてしまったようなことが書かれている。

復興のことを考えるのであれば、被害の少ない人達こそ日常にできる限り戻れるようにしないといけないとは言うけれど、でもそんな簡単なことでもないんだろうなーとも思う。

大きい災害の後なんかにはやっぱり自粛ムードが出てくるのはやはり避けられないし、自粛なんてしたところで何にもならないといったところで心情的なものがあるんだからなかなか難しい。

そんな震災を通して伊坂さんが気付いたのが、僕は楽しい話を読みたいであり、僕は、楽しい話を書きたいということだった。

これはもう想像するしかないんだけど、自分が被災したとして、たぶん色んな意味で余裕がなくなると思う。そんな時に一冊の楽しい本が心の拠り所になってくれるかもしれない。

だから伊坂さんのこのスタンスは素直に応援したいと思うし、伊坂幸太郎という作家のことが改めて好きになったなーと。なんというか少しだけ泣きそうになった。

この本の中には他にも震災時の状況などが、伊坂さんの視点から書かれている。それがこの本の主題ではないことを理解した上で、それでも震災を知るという目線で読むことも価値があると思う。

それではこのへんで。以上、あぽかる(@apokaru)でした。またーねー。